今日ここで、

生活を整えるための記録。

不老長寿の果物、イチジクが我が家の庭で収穫された。引っ越して二年目だ。

 

無花果、イチジクは漢字で書くと花の無い果、であるが実際は実の部分が花にあたるようだ。 実だと思っていたものがじつは花だったり、30代なかばでの新たな発見。 一日、一枝から一果しか熟さず、とてもスローペースのこの果物が大好きになった。

 

毎日、木の近くへいっては枝を持ち上げ熟してる実を探している。我が家の相棒も同じことをしているらしく、「あそこの枝にあったイチジク狙ってたのに食べられた」などとわたしに文句を言い、あのフワフワしたやさしいお母さん(笑)のような果物を巡って小さな争いが生まれている。わたしとしては「早いもの勝ちですから」という姿勢をくずさない。

 

イチジクの小脇にザクロの木もある。わたしの住んでいる土地は何故かご近所でザクロの木があるお宅が多い。牡丹に芍薬も。もともと城下町で行商の人が出入りしてた影響があるようだ。

一昨年は生薬会社から委託された業者の方が、「ザクロkg900円で買い取ります」と突然訪ねてきて買い取ってもらった。おおよそ8000円くらいになった。去年はこなかった。

ザクロの木はとても大きくて、今年は車を止めてあるスペースに覆い被さるようになってきたのでとうとう相棒と木を切ろう、という話になった。しかし土地柄、野菜や果物なんでも露地栽培ものでも直売所などで販売されているのを見ているので、なんとか販売してお金になればいいなあ、と思う。 

もし今が江戸時代とかならわたしは少し都会まで足を伸ばして「ザクロいらんかねー」とザクロの入った大きな籠を背に背負い、ザクロ売り娘、、と呼ぶには老けてしまったが、子どもの手を引いて(これも販売戦略のひとつ)売り歩いたりできただろうに。

そして余ったザクロはザクロジュースにして、有名なお寺の参道まで出向いて参拝の方たちに振る舞えたかもしれない。

 

今の時代でこれらを実際に実行するには、色々手続きだとか、免許だとか、資格だとかが必要で少々面倒なことも多い。

 

とりあえず今年は我が家のザクロはザクロシロップにして、来夏、レモンやジンジャーなどと一緒に炭酸水で割ったザクロジュースにして飲むとしよう。

 

 

 

 

毎年、味噌を仕込んでいる。 仕込み女子が増えている昨今、さほど珍しい

ことでもないのだが、仕込んだ味噌はとてもおいしい。 

麹の割合を大豆と比較して12割に設定して、塩分控えめ甘めの味噌だ。

 

今の時期だとアサリのみそ汁なんかで頂くと、麹の香りが鼻からフワッとして

たまに潰しきれてない大豆の丸の固まりが入ってたりして、それはそれで箸で

つまんで、当たりだ!と家族の中で小さな歓声があがる。 

大げさだが、出したての味噌は生きていてパワーがあるなと感じる。

体中でブワッとみそ汁を感じて菌さん今年もありがとう!なんてお礼をいいたくなる。

 

親戚のおばちゃんから、今度いつ味噌仕込むの?と連絡があった。

去年はじめて一緒に仕込んで、その美味しさにノックアウトされてしまったようだ。

来週の火曜日にそれぞれ大豆を水煮してもちよることにした。 今年はいつもの麹で

ではなくを別の麹屋さんのものを使う予定だ。 わたしと同年代の方が店主で、麹屋

さんを家族から引き継ぎ頑張ってる、と家族から聞き応援したくなったのだ。

 

近所にも土地柄あちこちに麹屋さんがあるが、若い人が継いで頑張っている、なんて

ところは稀であちこちで経営難や、後継者がおらず店を閉めているのが現状だ。

 

そりゃそうだ、みんな、ってひとくくりにするのも私の主観的な言い方で良くないが

みんな忙しい、高齢のおばあちゃんだって昔はみんなで味噌を作ったもんだ、なん

てゆっても今は一人暮らし足も痛ければ、腰も痛い。家庭の労働力というものが、

社会全体で失われているのを感じる。

 

だからこそ、食品メーカーはそこをついて、混ぜて焼くだけ!とか、卵一個で簡単

とか、この間みかけたのは、容器に調味料が入っていて、野菜を入れてレンジで

チンするだけ!とか次々に発売するんだろうな。

料理したいけどする時間のない家庭の労働資源を補っているんだろう。

 

でもそんなに毎日ごちそうが必要なのか?とも思うけどね。

それらをみてれば、和食に中華、イタリア料理にスペイン料理ー。

 

これじゃあ余のママたちは、いざ料理をしようと思えばごちそうばかり

を作らないといけないんじゃないか、と勘違いして荷が重くはならないだろうか。

 

そうゆう我が家の昨日の夕飯は

 

里フキと油揚げの煮物

残り物の高野豆腐と椎茸の煮物

トマト

味噌汁

 

こんなところだ。いかにもインスタグラム映えしないメニュー。

わたしはやっていないが。 

 

 

 

 

 

 

 

 

料理家のケンタロウさんのエッセイ、ケンタロウと秘密の料理

道具箱 を久しぶりに読んだ。

ケンタロウさんの炊飯器に対する思いなんかが書かれていた。

面白いと思ったのが

 

” 現在の炊飯器のレベルというのは恐るべきものだ、かまど炊き風とか

高い圧力をかけるとか、玄米やおかゆまで炊けてしまうとか。

日本のエンジニアってどうしてそこまで情熱を燃やすのだろう。

率直にいってオーバースペックですらあると思う。 ”

 

同感である。私が炊飯器を離れたのは機械オンチのわたしには使いこなす

ことができなかったのかもしれない。またパーツが多く面倒なのも理由だが。

 

あと

 

” 残念ながらデザインには料理人の所作の美がなく、あまりほめられたもので

はない、一時よりだいぶこなれた感はあるけれど、炊飯器はキッチンで一人だけ

浮いている ”

 

まさにその通りである。 

炊飯器についてここまで、料理家が深く掘り下げてそのものに焦点をあてた意見を

聞けるのは非常におもしろいとおもった。

 

オーバースペックだと感じたら、ライフスタイルもシフトダウンさせねば。

情報に流され流され、意外とミーハーなわたしの選択肢は制御しないと

いつの間にかハイスペックを求めていますもので、、、

 

 

ケンタロウと秘密の料理道具箱 (集英社be文庫)

ケンタロウと秘密の料理道具箱 (集英社be文庫)

 

 

 

 

 

 

 

きょう棚の中を掃除していたら、2013年のほぼ日手帳がでてきた。

初めての子どもを出産後、育休開けの仕事で四苦八苦していた時の日記だ。

当時薬膳の勉強をしていた。

 

2013年2月10日

今日は初めての講習会で東京へ行く。

子どもはお母さんに預けて1日みてもらう。

何ができるかわからない。やれることはやってみよう。

自分の意にはんしないかぎり、続けてみようと思う。

どこかでパズルがつながりますように。

もがいているこの状況が未来の1ピースになるかもしれない。

今日のこの日も。

 

当時を思い出すと。

何もかもうまいこといかなかった。

多分わたしが行きたい方向がブレブレだったのだと思う。

2013年2月10日のわたし、大丈夫、安心してくれ、無駄なことは何もない

君はもうすぐ、着くべき場所に到着してまた船をこぎだすから。

 

2年前わたしは会社をやめた。8年間わたしなりにがんばった。

なんかちがう、なんかちがう

と毎日感じるようになり、辞めることにした。今は事務のアルバイトと

家で義理の母の経営するお店の仕事をチョコチョコ手伝っている。

 

退職と同時にいまの家に引っ越したのだが、今は近所のおばあちゃんと

仲良しで庭でとれた野菜をもらったり、お茶をのんでおばあちゃんの手料理

なんかを頂いたりして、まったりとすごすことも多い。

 

昨日はおばあちゃんがお友達の家に行きたいというので、車で送迎した。

お友達は午後二時半までお昼寝するので、それから来てほしいと約束している

ようで、三時に迎えにいった。 そしたらおばあちゃんから普段はいているズボン

をだしてきてゴムを入れ替えてほしい、と頼まれた。ズボン3本だ。

 

送迎の車のなかでズボンできたら、庭のニラをあげるからお茶のみにがてら

おいでよ。と言われた。お茶のお誘いだ。仕事の合間をみてうかがうつもりだ。

 

夕方に父がふいにおとずれて、庭の山ウドの芽が出たか?と尋ねられた。

先週からうちの庭の山ウドが気になってしょうがない父がもみ殻をもって

山ウドの手入れにおとずれた。

一緒に枝を片付けたり、このあいだ植えたジャガイモは種芋じゃなかった

つけている去年の日記を読んだら、去年のは園芸店でかった種芋だったから

植えたジャガイモが心配だとか、兄の子が4月から通い始めた幼稚園のバス

に乗るときに泣いてこまる。とか立ち話して帰って行った。

 

以前の仕事していた時には想像もつかない毎日。なんのへんてつもない毎日。

バリバリ働いて育児に家事にこなしている時になんかちがう、なんかちがう、

と感じた私の感覚は間違いじゃない、しっくりくるんだ。こっちの方が。

 

庭の杏や梅の花はあっという間に散った。5月も末になれば果実の仕込み

に大忙しの自分にニヤリとしてしまうんだろう、きっと。

 

すこし前からご飯を圧力鍋や無水鍋でたいているのだが、炊いたご飯のおいしいこと!

さらに炊飯機を使うことがなくなったので電気代が安い!

炊きあがりに個人的順位をつけるなら、

  1. 圧力鍋
  2. 無水鍋
  3. ルクルーゼ

圧倒的に圧力鍋が一位である。

 

我が家のキッチンは文面ではうまく伝えられないが、面白い作りになっている。

そこで今の家に引っ越して一年、炊飯器の存在を邪魔に思うようになってし

まった。これが脱炊飯器となったきっかけである。 

 

鍋でたくご飯は水分量さえ気をつければ、炊飯器と違い保温機能はないが冷めた

ご飯がおいしい。多分真冬以外は冷めていても十分おいしいのではないだろうか。

炊飯器の時は美味しいのは炊きたてだけで、保温時間が長過ぎるせいもあるが

保温したご飯もレンジで暖めたご飯もおいしいとかおいしくないとか思ったことがな

かった。

 

でもきっとそれはメーカーさんからすれば

それはまずくなって当たり前!と言われてしまう部分があるかもしれないが。。。。

それかもっともっと高い炊飯器をかえばいいのか。しかし我が家にはそんなマニー

がないのだが、おいしいご飯を食べたいという理由で、この便利グッズである炊飯器

をお休みしているのである。

 

考えてもみれば、一昔前はみんなご飯は鍋でたいていたし、お湯だって電気ポットなど

もなくやかんで沸かしていた。ケーキなんかも無水鍋で作れるようだからそのうち

オーブンが我が家からなくなる日がくるか??でもあたため機能はほしい・・・

というわがままなわたし。

 

昨年、仕事を辞めて今は別の仕事をしているが、以前は仕事に家事に育児に忙しく

これらの電化便利グッズを駆使していた。食器を洗うのは食洗機、お湯は電気ポット、

コーヒーはコーヒーメーカー、ご飯は炊飯器、パンはトースター、お菓子はオーブン

ルンバが一斉を風靡していたので仕事をやめなければ手をだしていたのかもしれない。

 

気づけば我が家の生活は便利グッズであふれていた。便利になっているはずなのに

毎日なんだかすごく混乱していたのだ。

以前の仕事をやめたのをきっかけに電気ポットをやめ、やかんに、コーヒーメーカー

をやめハンドドリップに、トースターをやめ焼き網に、食洗機をやめ手洗いに、

そしてとうとう炊飯器をやめ鍋に変えようともくろんでいる。

 

炊飯器についていえば、多分動きがシンプルなのだと思う。キッチンでの動作が。

鍋で料理をする、炊飯器でご飯をたく。 

鍋で料理してご飯をたく。 

言葉にするとこのぐらい。

なぜかわらかないが私にとって頭の中がスーと、整理できるほど重要なことであったようだ。

 

以前はよりよいものが欲しいし、便利なもので時間を得ようとか考えていたけど

それは何か違うと感じはじめた、今日、庭では赤紫色のモクレンが満開。